日本空手愛好会が目指すところ
私たち日本空手愛好会が目指すところは、「心技体」の精神と「礼に始まり礼に終わる」という精神です。そして日本空手愛好会の本拠地のある大田区の青少年の「健全な精神と肉体」を育むことを目的としています。
心技体
心技体(しんぎたい)とは、心(こころ)技(ぎじゅつ)体(からだ)全てバランスが整ったとき、最大限の力が発揮できるという教訓のことです。私たち日本空手愛好会は、心技体の精神にのっとり心と技術と体を磨いています。
礼に始まり礼に終わる
武道では、道場への入室時には必ず礼をします。練習や試合の前後にも必ず礼をします。道場を退場する時ももちろん礼をして終わります。礼儀を重んじる厳格なスポーツであり、相手への敬意を表すために心を込めて礼をします。
健全な精神と肉体を造る
健全な精神は健全な肉体に宿ると言います。まずは、先生に対して挨拶できる事。習い事をする上で一番大切なのは「教えて頂く」という素直な気持ちです。「押忍」「はい」といつでも言える青少年の精神をつくる事を日本空手愛好会は目的としています。特に私たちの拠点としている「大田区」の若い方にはがんばって欲しいと思っています。
日本空手愛好会の歴史
日本空手愛好会は沖縄空手を主流にしています。沖縄空手には首里手、那覇手の両方の流れがあり、故 井上健先生は大西栄三先生から直接指導を受けこの日本空手愛好会を開きました。
■首里手
糸洲安恒
糸洲 安恒(いとす あんこう、1831年 – 1915年3月11日)は、沖縄県の唐手(からて、現・空手)家。
琉球王国時代から明治にかけて活躍した唐手の大家であり、唐手の「近代化」に着手した最初の人物としても知られる。(Wikiペディキュアから引用)
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若き日の遠山 寛賢(とおやま かんけん、1888年9月24日 – 1966年11月)は、沖縄県出身の空手家。全日本空手道連盟(旧)(現在の錬武会)総本部修道舘舘長(Wikiペディキュアから引用)
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大西栄三(幸栄館空手の創始者であり、遠山先生から糸洲先生の技をすべて学びました。)
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井上健(日本空手愛好会 創始者 : 幸栄館空手(大田支部)として空手の指導にあたり、当時の山田会館横の空き地や梅屋敷公園で練習を行っていた。昭和39年のオリンピック以降は大田体育館で練習を行い、昭和51年に日本空手愛好会を設立した。)
■那覇手
東恩納 寛量(ひがおんな かんりょう)
1853年4月17日(嘉永6年3月10日) – 1915年)は、那覇手中興の祖といわれる、明治期を代表する唐手(現・空手)の大家である。(Wikiペディキュアから引用)
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許田 重発(きょだ じゅうはつ、1887年 – 1968年)は、那覇手中興の祖といわれる東恩納寛量の高弟の一人であり、東恩流の開祖。
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大西栄三(幸栄館空手の創始者であり、許田重発先生から東恩納先生の技をすべて学びました。)
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井上健(日本空手愛好会 創始者 : 幸栄館空手(大田支部)として空手の指導にあたり、当時の山田会館横の空き地や梅屋敷公園で練習を行っていた。昭和39年のオリンピック以降は大田体育館で練習を行い、昭和51年に日本空手愛好会を設立した。)